障害受容・・・2011/08/20

Twetterで親が子どもの障害の「障害受容」についてという難しい問題を語られている方がいて・・・
その方の意見についてどうこうということではなく、ふっと自分の昔を思い出しました。

というか・・・
サリーが一生懸命やってきた原動力というか素というか・・・
「悠くんが可愛いから」とか全く思ったことがありません。

反対に大嫌いだったし、憎んでた?
一度も可愛いと思ったことがないので・・・
「生んだ責任上20歳までは育てる。
20歳になったらもうサリーには関係ないから、息子は放り出す。」そう決めました。
放り出すためには悠くんを「自立」させないといけないわけです。
それために必死でがんばって来ました。
悠くんは今年その20歳になります。
放り出したいけど・・・
一人暮らしが出来る能力がないので施設入所を希望してますが・・
なかなか入れません><
仕方ないので悠くんはずるずるとサリーとともに・・・・・(-"-;)





悠くん、3・4ヶ月検診で引っ掛かって大学病院に通院し始めましたので
1歳の頃には社会性が7ヶ月と遅れていて・・・
看護師長さんに「もう普通の子とぜんぜん違うわね」とはっきり言われるぐらい
異常な行動をしてました。
1歳10ヶ月で療育手帳が取れるぐらい遅れてました。

ところが・・・サリーはこの頃「発達の遅れ」と言われたのを信じていて
早く療育したら追いつくと思い込んでいて、1歳半にはもう通園施設に母子で通い始めました。
早く通園施設に通って遅れが追いついたら、普通に幼稚園にいけると信じていた頃です。

この通園時代に「この子は障害児なんだ」と思い知りました。
悠くんとまったく同じ誕生日の同じように自閉傾向の男の子がいました。
一緒の日に通園施設にW園に入園しました。
二人とも1歳半・・・同じような子どもでした。
ところが1年2年と経つうちに、その子はすくすく成長して・・・
「W園のお友達は遊んでくれない」とその子自身が言うようになり
その子は普通の幼稚園に変わって行かれました・・・

同じ日に生まれて、同じ園に通い同じ時間を過ごしていたのに
悠くんは成長しません。
他傷がひどくてあちこちに噛み付きまくりで、発語もなく寄声だけです。
たまたま何かの事情で発達が遅れていた子と
障害児との差を思い知りました。
悠くんは障害児なんだ・・・と思い知った時期です。

周りにいる同年齢の子供の姿を見るのが嫌で
悠くんと二人でどこかの山にこもりたいとずーっと思っていた時期です。
現実逃避したがってたんですねwww

同年代の親子が何気ない普通の会話している姿を見ると・・・
「ああ・・サリーはこういう経験(悠くんと普通に会話すること)は
絶対に出来ないんだ」と悲しくなるということが、
悠くんが小学低学年まで続きました。


悠くんの事をやっと普通に誰かに話すことが出来るようになったのが4年生ぐらいです。
悠くんの障害を受け入れられたのはやっとこの頃なんだろうと思います。


その頃にちょうど悠くんの話をしてみないかというお誘いをいただいて
思い切って受けました。
その時に悠くんの以前からの様子などをいろいろ思い出してお話したのですが、そのまとめたものが「サリーの樹」です。
そこからサリーの樹として記録していくことが始まりました。

頭でわかっていても気持ちが受け入れないというか・・・
でももしかしたら・・・という気持ちがなかなか消えません。

そして障害を受容していく時に一番手ごわかったのが
自分の中に無意識に存在していた差別意識でした。
障害児=嫌だ というような?
障害児でなかってほしい
その意識がなくなった時に初めて悠くんの本当の成長が見えるようになりました。
悠くんの成長が、健常児と比べて、
あれが出来ないこれが出来ないというマイナス評価の間は無理です。
健常児と比べなくなって、悠くんだけの成長が見えるようになって初めて、
プラス評価が出来るようになりました。

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