見たものが全ての時代 ― 2014/12/07
手がかりに生きていました。
言葉が理解できないのですから当然ですよね
それが唯一の情報ですから。
噛み付きまくっていた野獣みたいな時代ですね
ほしいものは自分で取るみたいな?
それがコミュニケーションというものの存在に気がついて
コミュニケーションで情報交換をするということをするようになって、
そのコミュニケーションでの情報を手がかりに生きていくという
生活スタイルに変わりました。
それぞれ段階があって体験よりコミュニケーションによる情報を頼りにしてくれるようになった頃からぐっと落ち着いた感じです。
スケジュールやコミュニケーションブックを使ってのやり取りです。
①体験が全てでコミュニケーションの存在を知らない
すぐに噛み付く野獣時代
②コミュニケーションの存在には気がついてるけど体験が優先する
伝わるけれど視覚的支援をちゃんと理解していない
一方的なコミュニケーションで十分なやり取りではない
突然の変更などがなかなか入らない
③体験よりコミュニケーションを情報交換手段にする
やりとりが十分出来る
納得するまでやり取りをして、代替案を受け入れられるようになる
ぐらいの3段階ぐらいでしょうか??
③の段階になってからぐっと楽になったのですが・・・
コミュニケーションでの情報交換をした結果を頼りに生活してくれるようになった頃です。
◎伝わらなければ別のものを持ってきて
何とかして伝えようとする姿勢。
◎こちらが伝えようとしていることを
何とかして理解しようという姿勢。
この2つの姿勢が悠くんに出てきたことはものすごく大きいです。
やりとりがぐっとやりやすくなりました。
前の記事でバスの中にいる悠くんにヘルパーさんが声をかけるという状況ですが・・・
悠くんが①の段階の場合どうなるでしょうか
見たもの(体験)が優先する時代です。
悠くんにとっては「ガイドヘルパーさん=プールに行く手段」です。
園に登園すると思ってバスに乗っていたら
プールに行く手段が来た。
↓
今から「プールに行ける」と思ってしまう。
↓
しばらくしたらバスが発車してプールに行くはずの
ガイドヘルパーさんが遠ざかっていく。
これは・・・
突然悠くんがバスの中で暴れだすという状況になります。
そして連絡帳にはきっと・・・
「朝バスの中で悠くんが突然暴れだしました。理由はわかりません」と
書いてあるはずです。
悠くんが小学1年生の頃に同じようなことがありました。
大嫌いな地域の小学校に通っていた頃で、①から②に移行していきたいなぁ
という時期か②の初期ぐらいでしょうか?
送り迎えをサリーがしていたので悠くんにとって
サリーは家に帰るための手段です。
授業参観があり、サリーは学校に行きました。
サリーを見た悠くん、帰る手段が来たのですから
当然帰れると思ってサリーの方に来ようとして
加配教員に制止され・・・怒り出します。
悠くんにとっては
サリーが来た=「帰るよ~」と言われた
感じなのでしょうか?
しばらく噛み付いたりしながら暴れていました。
悠くんは今③の段階なのです。
「今日は園に行く、プールには行かない」ということを
情報として知っています。
やり取りもなしにその情報が勝手に変わらないことも十分知っています。
自分に関係ないことなので悠くんは無反応なのです。
ただ・・・・
もっともっとアプローチを続けると
「あれ?予定変更?」と思ってしまう可能性がありますので
やめてくださいとお願いしました。
もし勘違いしてしまった場合・・・・
悠くんはきっと、すぐそばにいる添乗員さんにブックを
開けて『プール』の写真を示してプールに行くのかどうかを
確認するはずです。
添乗員さんは突然そんな写真を示されてもどういう意味なのか
すら解らないはずです。
悠くんの求める情報「この後の行き先がプールに変更されるのか
どうか」の答えは、悠くんに理解できる形では返ってこないはずです。
これはさらに悠くんの状態を悪くしていきます。
不要な情報は混乱の元になるので出来るだけ与えたくないのですが・・・
この悠くんにとって不要な情報、混乱しそうな情報というものを
理解してもらうのがなかなか大変です。
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