本当に選択しているのか2014/12/16

サリーは選択肢を示していると思い込んでいる場合の解釈
【シーン①】
  サリー   悠くんにお茶のコップを悠くんに見せる。
       「お茶いる?」
  悠くん   うんうん(ほしい)とうなずく。

【シーン②】
  悠くん  空のコップを示して「あっあっ」
       (お茶がなくなったから入れて)
  サリー  動きを止めて
       「まだ飲むの?もう止めたら?」
  悠くん  催促するようにあっあっとコップを示した後
       お茶の入っている冷蔵庫を指差す。
       (早くお茶いれて)

普段よくやるやり取りなんですけど・・・・
これが選択だとなぜわかるのでしょうか・・・



上記のシーンが「選択」ではなく支援学校でいつも受けてきた授業のように、
これしなさいという指示と解答を求めている場面だとしたら・・・

【シーン①】
  サリー   悠くんにお茶のコップを見せて
       「お茶飲んでね」
  悠くん   うんうん(解りました)とうなずく。

  このシーン①を繰り返すことでお茶を飲む回数が増えていく。
  悠くんにとってはお茶を飲まないといけない回数

【シーン②】
  悠くん  空のコップを示して「あっあっ」
       (お茶がなくなったけど・・・?)
  サリー  動きを止めて
       「お茶を飲む回数は何回でしたか?
        もう回数は足りてるかな?」
  悠くん  催促するようにあっあっとコップを示した後
       お茶の入っている冷蔵庫を指差す。
       (まだ決められた回数になってない。
       お茶いれて。お茶はそこに入ってるよ)

   シーン②は正解を聞かれていると思い込んでいて
   悠くんはそれに必死で答えている
   なかなか正解(OK)と言ってもらえないから
   何度も訴える



たとえば全く言葉が理解できない悠くんが
2つのものを目の前に出されて・・・
「どっちがほしい?」と捕らえるか
「正しいものはどっち?」と捕らえるか
たぶん教育機関では・・・・
毎日繰り返し「正しいのはどっち?」と聞かれ続けてきていて
その同じような状態でそれを選択肢と思えるのでしょうか・・・


回答の場面と選択の場面をくっきりと解る様に区別するには・・・
小さい頃から全ての環境でそれを区別してくれていないと
無理かもしれませんね・・・

どこに行っても共通の方法で示されていて、
小さい頃からそういう経験を積み重ねてこないと
無理なのではないかと思います。

知的障害のバリアフリーが進めば・・・
見て解る工夫にどこでも一緒の共通のルールが出来るかもしれませんね

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