自己選択・自己決定への支援2013/05/09

今年度から年に3回ある園外レクが選択性になりました。
いくつかある中から選択するのだけれど
家にその文字書きのプリントを持ってきて3つ選んで
書いて提出する形なので親向けのプリントになっています。
親が本人の好きそうなものを3つ選んで提出するということ。


文字のわからない本人に文字書きのプリントなど持ち帰らせても・・・
いったいとどうしろと??

現場で使っているものを使って
園で伝えているツール、カレンダーと園外レクを表すものと
選択肢の活動を表すものを使ってのチョイス、
「ここのどれにしますか?」という選択をさせてくれないと、
家にプリントだけ持ってきてもどうしようもないでしょう・・・

成人した子どものやりたいことを親に聞くのはなぜでしょう




自己選択・自己決定
そう言われていたのは悠くんがまだ小さい頃
あれから何年たったのでしょう
悠くんはもう成人しました。
なのになぜ未だに親に聞くのでしょうか?

まさかとは思いますが・・・
重度だから本人には理解できない?
重度だから本人では選べない?
もし・・・そう思っているのなら
とても失礼なことですね?




本人が自己選択自己決定できる力を付けるのが
支援学校の仕事と思っています。

一番大事なのは、コミュニケーションの力
やり取りをして納得する力
なぜそれを育てないのでしょうか?
重度の知的障害があるということは、
言葉をコミュニケーション手段には出来ないということです。
だから言葉の変わりになる代替手段は必須です。
そのための支援学校だと思っています。

そして学校で培った力を更正施設でさらに伸ばしていくということではないのでしょうか?
そうしなければ自己決定も自己選択もできるようになりません。

わざわざ重度の人たちがいる更正施設を選んだのに
本人の自己決定・自己選択の力を育てる方向に
支援が向いてないのはなぜでしよう。

本人の自立に向けた取り組みには親離れ子離れは絶対に
必要なことと思いますが・・・
なぜかわざわざ離れられないような支援の方向に
向いているような気がします。





実際には・・・
重度の人り施設では難しいのでしょうか・・・
言葉が使えないのに、代わりになる代替手段を身につけられずに
コミュニケーションで情報交換をするということを出来ないまま
成人した人たちが多いようです。


言葉は一番便利な手段です。
だけどそれを使えないぐらい重度の知的障害を持っている人もいます。
悠くんのように・・・・
本人が使える手段でコミュニケーションを考えてあげる
それが知的障害人たちへのバリアフリーなんじゃないかと思います。


悠くんは代替手段でやり取りする力を身につけたおかげで
ほしいものは直接取る、嫌な事には攻撃するというような
実力行使をしなくなりました。
もし代替手段を身につけていなければ・・・
今頃はすでに手が付けられないぐらいの危険人物になっていた
だろうと思います。

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